旭陽中学校同窓会 第3回カルチャースクール 
宇治・伏見探索2015.5.31
 2015年5月31日旭陽中学校同窓会主催のカルチャースクールが開催されました。
今回はお茶で有名な宇治と古くから酒蔵がある伏見に行ってまいりました。
尚、ご案内は、平等院よりも、お茶よりも伏見の日本酒にロックオンされた宮田(広報担当)がさせて頂きます。

集合地点は京阪淀屋橋駅。
この日の天気は曇り後、晴れ。
参加者は、石川会長、清水副会長、浦西副会長、長谷川副会長、竹内さん、菅沼さん、都甲さん、そして私宮田の8名。

今回の見所は、宇治茶のお勉強と、世界遺産に登録されている平等院、
そして、いにしえに人々の交通手段や、物資を運搬した十石船の乗船体験
さらに、酒蔵見学とフルコースです。

さて珍道中の始まりです。
一行は、京阪 宇治駅に到着。

京阪 宇治駅の駅舎は、1995年に移設され、翌年には私鉄駅では初めてというグッドデザイン賞を受賞。
曲線を多用した斬新でおしゃれな構内でした。
※設計は南海ラピートのデザインを手がけた若林広幸氏。
まず最初に迎え入れてくれたのは、※日本三古橋とされる宇治橋。
古くは646年(大化2年)に架けられたという大橋で、古今和歌集や源氏物語にも登場しています。

この橋の上で、いくつものドラマが繰り広げられていたと思うと、単なる交通通路ではなく、今と昔をつなぐタイムトンネルの入り口に見えてくるから不思議。

※日本三古橋:宇治橋の他に「瀬田の唐橋」(滋賀県)と「山崎橋」(京都府 残念ながら現存していません。)があげられています。
そんな宇治橋を、能天気に渡る
一行の図 

 
宇治と言えばお茶。

今日は、三ツ星上林三入本店へやってまいりました。

宇治茶といえば宇治で作られていると思いきや、京都・奈良・滋賀・三重の四府県産茶で京都府内業者が、府内で仕上げ加工したものは宇治茶と呼べるとのこと。

そんな中、ここ三ツ星上林三入本店では、純粋に京都宇治で作られたお茶を扱っています。
まさに、宇治茶中の宇治茶といったところでしょうか。
 
 
ご講義していただいた、十六代目 上林三入さん
 

創業天生年間
将軍家御用達として、代々受け継がれてきたこのお店

お茶の販売だけではなく、本当の宇治茶を知ってもらいたいとして、お茶の歴史や、作法などを教えていただけます。

地図記号でお茶畑を示す記号は、こちらの商標の三ツ星と同じ。
十六代目いわく、こちらのお店の商標が地図記号に採用されたそうな。
※他説もありますが・・・
 さて、抹茶を自分で石臼で挽かせていただきました。

な なんと100g5万円のお茶!

一秒で一回転。
それ以上に早くてもダメ!遅くてもダメ!
これって意外難しい
   
 
 
お茶は茶杓で2杯
この後お茶を点てる大切なシーン
自分がお茶を点てるのに
必死で撮り忘れ(しまったぁ)
それでは頂きます
お茶がわかる浦西副会長
お味は普通のお茶と全然違う!ときっぱり
 
上林さんによると、このお茶体験に参加されている方達を見るだけで性格がわかるとか。

石臼をぐりぐり早くまわすせっかちな人
5万円のお茶と聞き、茶杓に山盛りお茶を入れる人 とかね。
       
 
 
  江戸時代、将軍様に献上するお茶をいれたお茶壷。
お茶はお茶壷道中とよばれる重々しい行列で運ばれました。

お茶壷道中に出会った人々は、行列が通り過ぎるまで道脇でひれ伏さないといけなかったとか。
有名な「ずいずいずっころばし」の唄は、お茶壷道中を歌った唄。
歌詞をよく聴くとなっとく。
茶壷(お茶壷道中)に出会わないように逃げ帰った子供達が戸をピッシャンと閉め、通り過ぎるまで息を殺してる様が歌われています。・・・って知ってました?

 続いて、やってきたのは平等院
よく知っているのに判らないことも沢山

平等院って宗派はなんなのでしょう・・・
なぜ10円玉の絵柄になったのでしょうかとかね   
ネットで調べまくってみました!
 
  平等院鳳凰堂(簡単にまとめました)

もとはあの光源氏のモデルといわれる源融(みなもとの とおる)の別荘。(9世紀末)
それを後(1052年)に関白藤原頼通が寺院に改めたのが始まりだそうな。

宗派は、特定の宗派に属していません。(単立寺院)
2014年に大改修され、当時の鮮やかな朱色で復元されてます。

名前の由来は仏様の救済は皆に平等という意味がこめられています。

いまや世界遺産。
シンメトリーなデザインは見てて飽きがきませんね。
 
 ところで、平等院鳳凰堂といえば、10円硬貨!
どうして10円硬貨のデザインに平等院が選ばれたのでしょうか?
平等院の公式ホームページには「日本の代表的な文化財で建物に特徴があるからです。」と超あっさり

それだけではないはず!代表的な建物は他にもあるし!理由を考えてみると・・・
①他の建物より建造日が古い
②確かに絵になるデザイン
③どの宗派に属していない
自分としては③が決定的な理由に思えます。特定の宗派の寺院だと、他の宗派の人達は良い気がしないかも。
単立寺院だと日本国民全員が、違和感なくなじめますものね。

さらに掘り下げて調べると、このデザインは当時作成予定の50円硬貨に使用されるものだったとか
たかが10円 されど10円・・・ 皆さんもイロイロ調べてみてください。
 
 
 
   さて、鳳凰堂の名前のとおり、屋根には有名な一対の鳳凰が胸をはって羽ばたいています。
鳳凰とは、聖天子の治める平和な世にのみ姿を現すといわれる伝説の霊鳥。

1000年以上平等院鳳凰堂の上から、人々の平和を見守っていたのでしょうか・・・

今は、1万円札のデザインにも使用されていますね。
鳳凰堂のご本尊の阿弥陀如来像。
如来様ってなんなのでしょう? 

いろいろ、ググってみた結果、修行をして悟りに達した仏様のようです。
そして、現在修行中なのが菩薩様とのこと。
如来様にはほかにも釈迦如来様(まさしくブッダ!)や大日如来様、薬師如来様が、いらっしゃいますよね。

さて、このときカルチャ-スクール参加者から、「仏像の手の形って意味があるんだよね」の言葉がでました。そうです「印相」といいます。

こちらの阿弥陀如来様は、親指と人差し指を合わせて座禅を組んだ足のうえに乗せていらっしゃいます。
浅~い知識しかない俗世にまみれた参加者達は、「この世は銭や!」の意味では?などと罰当たりな声もでてましたが、もちろん違います。
このように禅を組んだ足のうえに両手を乗せるのは基本は瞑想のポーズ。
さらに、阿弥陀如来様の場合には、昇天された人々を極楽浄土へお連れするする際のコース(上の上から下の下まで9コース有り)を表されています。
平等院鳳凰堂の阿弥陀様の場合、上の上コースを表しているようです。
 
 
 
  当日は修学旅行の学生さんや、外国からのツーリストも沢山こられていました。
参拝料金は大人600円、鳳凰堂内部拝観は別途300円です。

参加者からは
「今日はざっと、千人以上は参拝してるとして。一人600円として・・・かける1000・・・
一日60万円、いや100万円以上は儲かってるちゃうか」と俗世にまみれた会話もチラホラ

わたしも含めて、このままだと阿弥陀如来様の極楽浄土お迎えコースは「下の下」になるかも
これからも精進いたしましょう。
 
 
    鳳凰堂正面からは如来様の
お顔が見えます
 
  参道で見つけた抹茶ビール!
美味しかった~
 

   お昼は、平等院参道にある京懐石料理「宇治川」
宇治茶と様々な料理のコラボ。
美味しく頂きました。
   

  次にやってきたのは、伏見の十石舟

ここ伏見の宇治川派流界隈は名水の出所でもあり、月桂冠や、黄桜など有名な酒蔵があります。
始まりは、江戸時代。
伏見からの酒や米などの運搬や、大坂から来る旅客の足として明治時代末期まで存続していましたそうな。

そして現在、港町伏見を偲び、京都市を含む55の企業が出資し、遊覧船として復活。
しばしの間、喧騒をわすれ のどかな疏水の旅を楽しんできました。
 
さて、十石舟の「石」とはどういう意味でしょうか。

ウィキペディアでは「尺貫法による容積の単位」とあります。
1合は約0.18ℓ、1升は1.8ℓ、1斗が18ℓ、1石なら180ℓ。ということは10石は1800ℓになりますね。
お酒なら一斗缶で、100缶分積んでいたのでしょうか。

恥ずかしながら自分は重さの単位と思っていました。
 
     

 
   初夏の風に吹かれ、たどり着いたのは、三栖閘門(みすこうもん)。

閘門ができたのは昭和4年。川での運搬が主流だった当時、水位の異なる宇治川と濠川(宇治川に注ぐ運河)を船舶が通過するために作られました。

しかし、その後 運送の主流が陸路に変わったことや、治水事業により宇治川の水位が変化したこと等により70年の歴史に幕をおろしました。
今は、その面影を残すべく観光客に公開されています。

※ちなみに大阪の「毛馬の閘門」は今でも現役ですよ~!
 
 のどかな船旅のあと、伏見にある元旅籠の寺田屋に訪れました。

寺田屋といえば坂本龍馬ゆかりの旅籠として有名。
その寺田屋で、幕末「寺田屋騒動」「寺田屋遭難」とよばれる二つの事件が起こっています。


 
 
  「寺田屋騒動」とは、幕末の薩摩藩の尊皇派同士の血なまぐさい事件です。

同じ、薩摩藩そして尊皇派同士なのに、どうして事件となったのでしょうか。
当時は尊皇派の中に、朝廷を立てつつ、幕府や藩を存続させようという考え方(公武合体と言うそうです)と、まさに倒幕を考える急進派がいました。
事件は急進派が時の関白と京都所司代の首をとることで一気に倒幕の動きを進めようとしているのに気づいた、公武合体派がそれを阻止するために起こりました。
その騒動の舞台となったのがこの寺田屋だったのです。
急進派は鎮圧され、結果多数の死者が出ています。
 
 
ところで、歴史の教科書にでてくる「変」「乱」そして今回の「騒動」とはどう違うのでしょうか。
ざっくりとまとめると・・・
クーデターが成功に至った場合は「変」、失敗に終わった場合は「乱」(どちらも勝者目線)
内紛については「騒動」が使われるようです。今回は薩摩藩内での内紛なので「騒動」が使われています。
※その他の説もあります。学者先生により微妙にイロイロ・・・
 
そしてもうひとつの事件「寺田屋遭難」
慶応2年1月、京での薩長同盟の会談を斡旋した後、寺田屋に宿泊していた龍馬を伏見奉行の捕り方が
捕縛または暗殺しようとした事件と説明されています。

こちらは坂本龍馬がからんでおり、テレビドラマや映画にもなっています。

でも、なぜ龍馬が襲われたのかについては、どの資料も説明不足・・・
 
 
  理由はともあれ、寺田屋で龍馬が襲われたのは事実。

その際、お風呂に入っていた「お龍」(おりょう、龍馬の妻)が外の異変に気づき
袷一枚を羽織り、いち早く、龍馬達に報告。
怪我をおったものの、お龍の気転で不意打ちを免れ、脱出できたのは有名な話。

ここ寺田屋では、当時のお話を案内の方が詳しくお話してくれます。

 
建物の中は、当時の事件を想わせる物がたくさん。

こんなところで、数々の事件があったのか!
と皆 感慨深く見入ってしまいました。

が!このホームページを作るにあたり 新たな事実が判明!?
事件当時の弾痕の跡と思われる「跡」  お龍が入っていたとされるお風呂
 
 
 実は、上記の事件があった寺田屋は、「鳥羽・伏見の戦い」(1868年)で焼失。現在の寺田屋はその後 隣地に新築されたもの・・・だそうです。
では、あの弾痕は?お風呂は?別物?! 
言わば「寺田屋資料館」といったところでしょうか・・・・
しかしこの辺りで事件があったのは事実。  幕末に様々な思いを込めて命を散らしてしまった方々に合掌。
 
         
 
  伏見の情緒ある街並みを歩き やってきたのは、「黄桜記念館」

黄桜は大正15年創業

社長が好きだった黄桜(ヤマザクラの一種)が社名の語源。
カッパのキャラクターとともに、今や日本人みんなが知ってる一大酒造メーカーですね。

この地で名酒を生んだ伏見の名水。
清水さん お味はいかがでした?
 
 
 黄桜といえば・・・
「カッパッパ~♪ルンパッパ~♪カーパキザクラ カッパッパ~♪」
のCMソングと河童のキャラクターが有名ですよね。
愛らしい初代キャラクターは漫画家の清水崑さん
色っぽい二代目キャラクターは漫画家の小島功さんの作品
歌は楠木トシエさん(もう若い方はしらないだろなぁ~)
映像、歌ともに頭に残るんですよね~
「♪イ~ケル ケル ケル ケルッ♪」
   
 
         
 

 
  仕上げは、伏見のお酒を頂かないと!

ここ「月蔵人」は元月桂冠の酒蔵。
美味しい日本酒を飲みながら お豆腐、湯葉などを中心とした四季おりおりの和食料理が楽しめます。
    伏見は古くは伏水と記されるほど伏流水の豊かなところ。

飲み比べをしてみました。
適度なミネラルを含む水でつくられたお酒は実にまろやか。
沸き立つようなフルーティな香りに、女性ファンが多いのも納得。

さらにミネラルが多い水で作られた灘のお酒が辛口であるため「灘の男酒」「伏見の女酒」といわれるそうです。

飲み終わったあと、近くの長建寺にお寄りし皆さんに福来ることをお祈りしてきました。

今日は本当にいろいろな所を巡りました。
様々な文化と歴史に触れ、そんな郷土が生み出したお酒で締めくくらさせて頂きました。

最後までお付き合いありがとうございました。
さて、次回のカルチャースクールは何処へ?   
   
会長思わず
「美味い~!」の図